仙台への視察研修 その2

今回は、先日の仙台の視察研修の二日目を紹介します。
場所は、石巻と女川でした。
石巻は工業地帯であり製紙会社や合板会社など大きな工場がたくさんありました。
セイホクという日本1の針葉樹合板の工場もみつけましたが、
ここが被災したためにユーハウスが使用する構造用合板が
入荷しづらくなり、価格も1割ほど上がってしまいました。
今は、復興して製紙工場共々操業していました。


また水産加工工場もたくさんあったそうです。
しかし、こちらは一部の工場しか操業していませんでした。
というより跡形がありません。
あるのは、うず高く積まれた瓦礫の山、山、山でした。
そこでは、無数のユンボが瓦礫を分別していました。


瓦礫の山、こんなのがあちこちに無数に点在していました。 (バスの中から撮影していますのでボケボケです。すみません)


石巻ではバスから降りることなく、
ガイドさんの説明のみで通りすぎましたが、
まだまだ被災しても手付かずの家や工場が点在していました。


そして次に入ったのが女川町なんですが、
道中全く津波の被害を受けていないところを走った後、
何もない不毛の土地がいきなり見えてきました。
ここがテレビの実況でも何度も放映されたところです。
津波の高さは海抜27Mだったそうです。


海外沿いから北に向かって撮影しましたが、
瓦礫は片付けられていましたが、
何もありません。
右側の横倒しになった鉄筋の建物は、
交番だそうですが、
その北川にはJRの女川駅があったそうです。
 
はるか奥に見える白い建物は、女川第2小学校で、
被災された方々が避難された場所です。
その敷地内には、現在3階建ての仮設の役場が立っていました。
とにかくここに人口1万人の漁師町があったということが信じられません。
すべて流されたという感じです。
ここの町だけで千人以上の尊い命が犠牲になったそうです。




これも鉄筋コンクリートの建物が押し波で横倒しになっている様子ですが、
津波のすざまじいパワーに圧倒されます。
こんな光景は世界的にも珍しいそうです。




この建物(老人医療センター?)は屋上で海抜20mほどあるそうですが、
屋上の駐車場に止めてあった車も流されたそうです。
ここの裏山からの映像もよく放映されていたと記憶しています。
地震が発生して約45分で津波の第1波が来たそうですが、
当初の津波の予報は6mだったそうです。
その後10mに訂正されたそうですが、
実際に来た第2波、第3波の津波の高さは、
創造を絶する27mだったそうです。
私たちは、説明を聞きながら何も質問することも出来ず、
ただ呆然と被災地を見ていただけでした。


今はこんなに穏やかな港町です。

この地区で地震の被災はしたが津波の被害がなかったかまぼこ工場
震災当日の集荷予定だった7万枚の笹かまぼこを
女川の各地の避難所に配ったそうです。
女川は当時、陸の孤島化していたので、
避難所の人々は被災後1週間の食料と水は、
このかまぼこ屋さんのものだったそうです。
食料はかまぼこだけだったそうですよ。


震災後、1年と8ヶ月たってからの現地視察でした。
現地を見るまでは、今頃行っても・・・と思っていましたが、
行って現実を見られたことは大変良かったです。
現地は復興は全く始まっていませんでした。
瓦礫がやっと瓦礫置き場に集められたという状況でした。



仙台駅より帰途につきました。
みなさんご苦労様でした。

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